雨の日が続いてた中、久しぶりの青空がいつも以上に眩しく感じ。マスクをしていると季節の匂いも感じにくいですが、誰も居ない公園でマスクを外して見上げた空は本当に伸びやかで綺麗でした。少し 夏の匂いを感じます。
明石公園ではセミも鳴き始めて 暑い夏の訪れも間近ですね。梅雨明けには 初めて漬けた梅を干すのを心待ちにしています。ささやかな日常ですが 私なりに充実しているように思えてるのは有難い事だなぁと。
近くの海にも本当に久しぶりに訪れたてみました。川との合流地点で海水浴の人もいない浅瀬で少し子どもたちを遊ばせることもできました。今年は いつもの夏とは違う夏になりそうですが、ほんとに小さな小さな水辺のスペースでも子ども達には充分で。小さな幸せや楽しみを見つける機会になっていると思います。
いつもの日常では無いですし、今年は毎年訪れてある沖縄へは行かない予定なので 寂しさもありますが
そんな時 いつも思い出すのが 沖縄のお父さん的存在の方が教えてくれた 沖縄の言葉。「ありてぃんゆるくぶな。うしぬうてぃんなくな。」という言葉です。これは私が色々な事に悩み とても辛かった時に 言ってもらった言葉で。「あっても喜ぶな、なくても悲しむな。人の良し悪し、人生は最後にならないとわからない」というような意味だそうで。まさに今もコロナ禍でそんな言葉が合う時期なのかなぁと思ってみたりします。
考え方は人それぞれだと思うのですが、沖縄の人の考え方には教えてもらう素敵な考え方がたくさんあって。それは沖縄が台風の通り道で 一夜で家や作物など多くをを失うことも多かったり、歴史的背景からこそ 前向きな考えや 執着の薄さが根付いたのだと聞きました。
私も長年 沖縄の方々と交流させていただく中、自然と同じような考えが染み渡っているように思えます。
だから あまり無いことには拘らないですし、執着も無いんです。私の人生でなぞらえてみても、例えばシンクマルマザーの時とパパがいる生活と どっちにも良い所があるんですよね。シングマザーの子育ては確かに大変ですが、子どもの愛情を一身に受けられて、大変だと思われがちで、何となくパパの役目?的なお風呂も、仕事と家事を頑張るママにとってもその時間が一番のスキンシップで。そんな時間が1日のご褒美みたいで。今も私が大好きな時間なのですが。もちろんパパがいると お出かけが出来やすかったり、行動もぐーっと広がったり、
パパにしか出来ないところがあるので それは子どもには大切だと思います。息子も、「ママと2人だったときは無い物がいっぱいあったように思ってたけどめちゃくちゃ幸せやったんやなぁ。家族が増えたんももちろん幸せやけどな。笑。」って言ってくれたり。笑
なんだか伝わりにくい例えだったかも知れませんが、シングルもそうでない人生も、どっちの人生も私には幸せなんですよね。だから きっとどちらか。では無いんだと思います。
あっても無くても。その人が幸せならいいんですよね。
だから私自身はあまり生活の制限自体に苦は感じてないんです。ある事に感謝して、あることを楽しむ。
過酷な日々も、辛いこともありましたが
久しぶりの晴れの空が また私の気持ちに元気をくれました。
まだまだ 災害やコロナで大変な最中です。
どうか 周りの人のこと思いやる行動を。自分たち本位ではない行動を1人1人がとれることを 切に願うばかりです。